核密教(エソテリックニューク)の冒険。ゲンパツ金目教はいかにしてゲンパツ金目教となったか、核の悪霊をエクソシズムする物語り「J-PARC2125」
安川 第五郎(やすかわ だいごろう、1886年(明治19年)6月2日 - 1976年(昭和51年)6月25日)は、日本の実業家。安川電機社長、九州電力会長、日本原子力発電初代社長、日本原子力研究所初代理事長、日本原子力産業会議会長、1964年東京オリンピック組織委員会会長。玄洋社社員。
1970年の大阪万博で、電通のプロデューサーとして大活躍した父は、原発の推進に生涯を捧げた。タダで安全に無限のエネルギーを供給してくれる原発は人類を無限の幸福に導く存在であり、原発に反対するなどという愚か者は共産党員以外には考えられなかった。当時高校生だった私は家族四人で大阪まで連れていかれて原発の灯のともった万博を見ろと言われたが、ウソに洗脳されるのは絶対いやだと頑張って抵抗しとうとう会場に一歩も足を踏み入れることなく帰京した。父の怒りは極限に達し、「キサマは共産党員だ」と怒鳴り狂い、その父子関係は父が死ぬまで半世紀の間変わることなく続いた。長男でありながら私は父の葬式すらやらなかった。
当時は漠然と原発はあぶないと思っていただけだったが、その後多少は本も読み教科書も教えられたりして、なぜ原発に反対するのか、その考え方を拙いながらも自分で整理して語れるようになった。
年恰好を想像するところ、お父上は学徒動員手前で終戦を迎えられたんですか。あの頃の世代の人間にはアルアルですね。うちの糞オヤジも戦前生まれで大したことやってないはずなのにスパルタ軍隊教育だと抜かして、読売新聞が好きで反共だったので、物心ついた頃には信用にたらぬ男だと思うようになりました。それが原子力の仕事をやれとかいいだすのだが、ちょっとした事情もあってその道にはいることになって、それが大きな間違い。あの糞オヤジとは子供の頃に縁をきっておいたほうが身のためだったとおもっています。戦争は人をダメにするね、中曾根康弘に似た姿形だったけど、ああいう人間のことを考えるだけでムカムカしてくる。死に水はとってやったけどね。
宗教観が原子力に左右するかどうか、原子力事業に関わっている者に最終的にどう作用するか、というのは案外興味深い問題です。原子力の塀の外と内で温度差はずいぶん違うでしょうけど、私は一時期と言えども塀の内側にいた人間として、原子力やりたいなら最後までやっても構わないが、そのかわり、死ぬときには使用済み核燃料を抱いて自分ごと地層処分、地獄の底まで自分たちで持っていけ。国税で人様に始末してもらおうなどもってのほか、よもや仏や神が救ってくれると思うな、と言いたい。宗教観というのは一生モノだから、原子力に染まり上げるならばそれはそれで腹をくくり、神も仏もなくてよいから、既存宗教には背を向けて核物質と暮らせ。それがいやなら、原子力の悪霊をエクソシズムして果てろ、と。反原発を期待する人は今のところ原発は終わるだろうと思っているでしょうが、私はそうは思わない。いまある使用済み核燃料だけでも10万年規模です。そして核物質を手にした以上、永遠に手にし続ける。ゲンパツ金目教がめざす原子力千年王国とはそういうものです。そしてそれがゆえに、塀の外でも内でも怨嗟は永遠に連鎖する。
塀の中の宗教観を問う人はあまりいないのだけど、私の経験からだと、塀の中にはいるための入社試験で宗教を問う欄が一応あった。なにかの宗教信仰をしていれば記入せよ、というもので、米国風の宗教を含めた進歩的な人物考察なのかと思いきや、宗教欄に記入した場合、色眼鏡でみてやるぞ、という予告みたいなものだ。私は記入はしなかったが、役員面接で「こいつは俺が(原子力に)洗脳してやったので大丈夫だ」というクレージーな発言があったが、それでもまかり通った。要は、最初から神も仏もいらない人たちの集団なのである。なので、宗教観を問うても無駄、「地獄に落ちろ」で十分。 ちなみにこのクレージー人物がのちの盗聴・集団ストーカーの首謀者のひとりである。
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